2012年12月12日

黒田官兵衛 番外編

黒田官兵衛 番外編

【民謡の黒田節】

酒は呑め呑め 呑むならば 日本一(ひのもといち)のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士

母里 友信(もり とものぶ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。通称は太兵衛(たへえ、たひょうえ)、幼名は万助。但馬守。父は播磨国妻鹿の国人曽我一信。弟に野村祐勝。妻は大友宗麟の娘。

文禄・慶長の役休戦中の際の出来事に由来するとされる。

母里友信は黒田氏の家臣で黒田孝高(如水)、その子黒田長政に仕えた。槍術に優れた剛力の勇将として知られ、栗山利安と共に黒田軍の先手両翼の大将を務めた。黒田二十四騎の中でも特に重用された黒田八虎の一人である。また、「黒田節」に謡われる名槍「日本号」を福島正則から呑み獲った逸話でも知られる。
京都伏見城に滞留中の福島正則の元へ、長政の使者として使わされた友信は、正則の屋敷で酒を勧められる。友信は家中でも「フカ」と言われるほどの酒豪の者であったが、使者である手前それを固辞した。しかし本人も酒豪である正則はこれに「飲み干せたならば好きな褒美をとらす」としつこく勧め、更には黒田武士は酒に弱い、酔えば何の役にも立たないからだ、などと家名を貶める発言をした。

そこで友信はこれを敢えて受けて大盃になみなみと注がれた数杯の酒を一気に呑み干すと、褒美として、正則が豊臣秀吉から拝領した名槍「日本号」を所望する。正則は不覚を取ることとなったが「武士に二言は無い」という言葉を受けて褒美に差し出した。これによって「呑取り日本号」という異名と、越天楽(筑前今様)の節回しと供に「黒田節」として、黒田武士の男意気を示す逸話として広く知られるようになった。


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Posted by 中津商工会議所 at 09:35 │軍師官兵衛