2012年11月27日
黒田官兵衛⑫

1604年(59歳)京都伏見藩邸にて死去。
関ヶ原の合戦の後、長政が先に勲功として家康から筑前国名島(福岡)37万石(再検地後の申請は52万3,000石)への加増移封となった。翌年、如水にも、これとは別に上方での加増が提示されるが辞退し、その後は中央の政治に関与することなく隠居生活を送った。晩年は再建に努めた太宰府天満宮内に草庵を構えている。
慶長9年3月20日(1604年4月19日)
京都伏見藩邸にて死去。59歳
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